こびとく日誌

クツをつくりながら考えたこと。晴耕雨読な日々のこと。

異国の客とフランス装

ブックフェスティバルの展示の中でとりわけ目をひいたのは美篶堂さんの展示。
高遠の隣りの町、美篶に製本工場があるそうで、いろんな手法の手製本が並べられていた。豆本切手帳もありました。箱ケース付きで切手を貼ってページがふくらんだときの分の余裕まで計算に入れたしっかりとしたつくりのものだった。中には外国の切手。カッコいい〜!
背が丸くなったもの、文庫本を製本したものなどひとつひとつ手に取って眺める。そんな中にブックカバーのように表紙を紙でくるむようになっている本があった。四隅に切り込みを入れてうまく折り畳んである。『それはフランス装って言うんですよ』とスタッフの方が教えてくださった。簡易的な製本方法だとのこと。
と、ここで先日読み終えたばかりの一冊の本のことを思い出した。
その本とは池澤夏樹さんの『異国の客』である。フランスのフォンテーヌブローという町に住む池澤さんの日々の暮らしのエッセイ集である。フランスでの生活について日本との違いなどたくさん述べられているのだけど、ルリュール(reliure)に関する記述があったのを思い出した。簡単な製本の本(ページは切られていなくて折っただけだという)を本屋で求めて、それをルリュールの店に持っていって自分の好みで装幀してもらうのだとあった。だから装幀する前に読もうとするとペーパーナイフが必要になる。ペーパーナイフとは手紙の封を切るものではなく、本来は本のページを切る用途に使われていたのだということも書いてあったはず。ちなみに本の価格よりルリュールの価格の方が当然高くなる。ある意味かなりの贅沢である。池澤さんも自分の著書を好みに装幀してみたいと書いていた。
本とはそんな風に大切に扱うべきものなんだろうなぁとつくづく思う。蔵書という言葉が使われるように書棚に並んでいるその姿も楽しむものなのだろう。

『異国の客』には他にもフランスっていいなぁと思わせることがいっぱい書いてある。例えば近所の食材店。
店は外から見るかぎりとてもおとなしい。振りの客を巻き込むよりは常連の客を相手にゆっくりやってゆくという姿勢がみえる・・・
同じ場所で何十年も商売をやってゆくのに店の外観を派手にする必要はないのだという。派手な看板で客を呼ぶ必要はない。他の店と並んで街全体の品位を静かにみせていればよいのだと。

だから町並みがきれいなんですね。
外国旅行から帰ってくるとまず目障りに感じるのはあちこちにあるノボリや派手な看板だということはよく耳にするし、わたしもそう感じた。自分の店の前のみならず数メートル手前から複数のノボリを立てているお店もざらにある。「品位」なんてあったもんじゃない。でも悲しいかな、それがニッポンの現実。

ワインやチーズなどつくるのに時間がかかるものは本来の品質を維持するのが作る側の面目であって、それを理解している客は新製品というだけでは飛びつきはしない。全体として"現在"を構成する要素の中で"過去"の占める部分の比率が高い。池澤流に言うと『急カーブは曲がれないし、その必要もないと人々は思っているらしい』。

ものづくりする人々は皆、フランスに住みたくなっちゃいますネ。


続編を今、読んでます↑やっぱり言葉がうつくしい。

そう言えば寛平ちゃんも今フランスにいるんだよなぁ→