こびとく日誌

クツをつくりながら考えたこと。晴耕雨読な日々のこと。

雨氷・霧氷・過冷却

香港から帰ってきてはや二週間が過ぎた。
なんだか遠い昔のできごとのようにも思えるけどまだもう少しあのときのことを書いておこうと思う。
奥宮俊祐さんのレースレポの中に24時間前後でゴールした人たちのバックパックなどが凍り付いていた現象は『過冷却』によるものと書かれていたのを読んだ。
過冷却』は初めてきいた言葉だった。
調べてみると・・・

雨滴が氷点以下の気層中を通って降ってくるとき、その温度が永点以下になってもなお凍結せずに地上に落ちてくることがあります。このように凍結せずにいる水摘を過冷却した水滴と言います。
過冷却した霧雨または雨が、氷点付近の温度の地物にあたって凍結したものを雨氷と言います。雨氷は、普通、均質で透明な氷層からなり、低温過飽和の水蒸気または過冷却状態の霧粒が、樹木や地物に付着してできた白あるいは半透萌の氷層を霧氷と言います。
ー気象と天候よりー

あの週末、大寒波がやってくるというのは天気予報でわかっていた。自分の目標タイムは24時間以内でゴールが午前8時前ということは最後の10キロ大帽山では気温はマイナスになるかもしれないとは想定していた。朝方の一番冷え込むときに一番標高の高いところにいるわけでしかも90キロ以上走って(歩いて)きたあとで・・。
ひょっとしたら雨が雪に変わるかもとは思っていた。それで防寒具をいろいろ用意していたのだ。
気温が低くなれば降るのは雪、そんな風にしか考えていなかった。
だけど雪は降らなかった。
午前4時半頃にCP9を出発したとき強めの雨が降っていた。みぞれのようでもあったけどどちらかと言えば雨だった。
それが気付くとレインウェアが凍るという現象に変わっていったのだった。
過冷却というのは0度以下になっても凍結しない現象。その過冷却になった水滴は何か衝撃を与えると瞬間に凍るのだそう。
つまり大帽山に向かっていたとき降っていたのは過冷却になった雨でそれがわたしたちの身体や服、ザック、ストックなどありとあらゆるものに当たった瞬間にその衝撃で凍っていったのだった。
タイトルは忘れてしまったが昔観た、大都市が一瞬で凍ってゆく地球滅亡系の映画さながらに。(追記・『The day after tomorrow』でした)
初めての現象に(しかも真っ暗闇の中)恐怖におののいたのは言う間でもない。
しかし、本当に怖いときって泣かないものですね。ハセツネとかでは辛くて泣いたりしているこびとくですが、今回は泣いてる場合じゃないというか・・・。
先週UPされたレース中の画像をたくさん観ましたが、ゴール前の最後のトレイルを通過する人たちの鬼気迫るようななんとも言えない表情。自分もそうですがFinishというよりは『生還』という言葉がしっくりきます。
いい経験をしたと今は思えます。
ゴール直後はとんでもねぇと思ってましたが。
しかもゴール後、凍結による渋滞でシャトルバスが動いておらずホテルまで7キロ歩いて帰ったこと。強烈な思い出。
100キロ+7キロ・・・・
そしてホテルの部屋に戻ってもペットボトルの中の氷は溶けていなかった!!
シャワーのあとよく冷えたほうじ茶が飲めました
以上でHK100のレポを終わります。

先週の日曜日、各地で霧氷や雨氷が見られましたね。
わたしも金沢への弾丸帰省中、長野県あたりでみました。きれいだったなぁ。