こびとく日誌

クツをつくりながら考えたこと。晴耕雨読な日々のこと。

UTMF(STY TRACK)

短縮されたUTMFのゴール後、河口湖まで戻りドロップバッグと着替えなどの入った荷物を受け取る。
インフォメーションコーナーに行き翌日のSTYについてきいてみると受付は不要、装備品チェックも不要、ゼッケンとチップをつけてそのまま12時のスタートにお越しくださいとのことだった。
車中泊も覚悟していたがそれなら時間があるので一旦帰宅できる!ということで帰宅することに。
当初の予定ではサポートを頼んでいた夫が金曜は仕事だったので金曜はサポートなしだったのだが急遽休みがとれサポートしてもらえることになっていた。移動の足がなければ翌日のSTYには参加できなかったのでありがたかった。
帰宅したのは午前2時。とりあえずシャワーを浴びる。洗濯機に入れる前に下洗いしなきゃと靴下をもってバスルームに入ったがすすいでもすすいでも泥水のままなのには閉口。いやーすごかったです。
ザックの中味を新聞紙の上に広げ、乾かさなくてはいけない装備品をピックアップ。
ザックとそれらのものをバスルームに吊るして浴室乾燥機をセットして就寝。ドロドロのシューズには新聞紙を詰めた。
翌朝、目覚ましがなる少し前に目が覚めたので睡眠時間は2時間半くらい。けれども疲れは残ってはいなかった。もともと不眠でいくはずだったわけで着替えてベッドで眠れたわけだからコンディションは上々だった。
朝食をとり慌ただしく準備。その間、夫に頼んでシューズをドライヤーで乾かしてもらう。
今回、彼はわたしに振り回されることになったのだがまさかこんな形のサポートになるとはね・・。
シューズの泥をブラシで落とすとあらっ!なかなかフレッシュな感じでスタートラインに立てそう
いざ、こどもの国へ!
到着したときは雨は上がっていたが、その後ご存知のように土砂降りに。スタート15分前まで車で待機。
10分前に整列。雷も鳴っていたのでスタート時間は延期になると思っていた。しかし定刻通り。
前日にすでに雨に濡れていたので雨だから嫌だなというのはなかった。それよりも予定通りスタートできることが嬉しかった。
UTMFならこどもの国からゴールまでは23時間の予定だった。それがSTYの制限時間は20時間。なのでゴールまでは行けないかもしれないけれど試走禁止区間の〜太郎坊〜須走はレースのときじゃないと走れないからせめてそこまで行ければと思ってのスタートだった。
STYでもまた最初で頑張らないとトレイルに入るときに渋滞の後方になってしまうだろうなとは思ったけれどここでも100マイルの走り方をしようと思った。太郎坊までは17キロ、UTMFなら関門5時間50分、STYは4時間50分、関門ギリギリの通過でいい。
トレイルの入り口の渋滞で後ろを振り返ったら最後尾がすぐそこに見えた。後ろから100人くらいの位置かな?そこから先はドロドロのぬかるみでずっと連なっての行進だった。
途中から追い越し禁止区間になったのでそのままの順番でゆっくり進むのみ。うーん、関門時間に間に合わないかもなぁ・・・。
あまりにゆっくりなので寒さを感じるようになる。ちょっとした下りでは完全に立ち止まる列。
雨は止むどころか強まる。雷鳴もとどろく。14時34分に大雨警報が発令されていたそうで14時台は94mm/hの激しい雨だったそう。まさにその時間、コース脇、右手の沢の方でゴウゴウと鉄砲水のような流れもみていた(14時半頃)
そのあと隊列はピタリと止まってしまう。前方で川が増水し渡れなくて立ち往生していると伝わってきた。大会本部には連絡済みでそのことは把握している。その場で待機するようにと。
冷えてきたのでレインパンツを履いた。アームウォーマーを装着。何か食べた方がいいと思いジェルを補給。ザックには保温のための長袖もあったがまだ着なくても大丈夫。だけど太郎坊に着いたら着替えた方がいいかな。このまま雨が降り続くようなら夜間のレースはやめておいた方がいいかもなと今後のことを考えていた。
その後、I-04まで戻るようにとの指示。レースは中断しているとのこと。
地図で確認するとちょうど舗装路と交わるところ。結構戻らなくてはいけないがそこからロードで迂回して行けるのかもなと楽観的に考えていた。
前の方からの伝言でI-04に戻るとのことだったけどそれが後方にうまく伝わらないのか列は動かない。そのうち周りの人たちも寒い寒いと言い始めたので動かないとまずいと思い、戻りましょうと言うのだけど停滞したまま。日本語が通じない人が多かったのかもしれない。本部に電話して確認をとってくれた男性が大きな声で『I-04へ戻りましょう』と言ってくれやっと列が動いてくれてホッとした。途中でスタッフらしき女性がこどもの国まで戻ってくださいと言っている。「レースは?」と尋ねると「終了です」とのこと。
そして来た道を戻ったわけだが、来たときよりぬかるみは二倍ひどくなっていた。
雨のレースとはこういうこと。トレイルはこんな風になってしまうのだ。100人通ればみるみるうちにひどいことになる。むき出しになった木の根。

こんな風にスタートから5時間以上かけてまたスタート地点に戻ってきた。
これはなかなかできない経験だった。スタート会場はすでに撤収されていてどこにチップを返しにいけばいいのかわからない。でもこれを返さないと行方不明者になってしまう。(香港のときの教訓
まわりの人にききながらチップ返却場所へ。そのとき空には虹が!

振り返ると美しい夕焼け。

なんと冠雪した富士山も!!!!
なんで今ごろ。
それともこれはギフト?

富士山の周りは一周できなかったけれど思い出に残る強烈な大会だったことは間違いない。
短縮や中止についてはいろいろな意見、批判なども耳にする。
そしてSTYでの体験はその場にいたときはそれほどの危険を感じてはいなかったのだけど、これが夜だったら、序盤でなかったら、もっと激しく雨が降り続いていたならば・・・。
最初のエイドにたどり着いていないので17キロという長い区間の中での遭難者になる。携帯電話が水没して連絡がとれなかった人もいたときく。自覚していなかったけれど一時的であれ遭難者になっていたのだ。
いろいろ考えさせられる大会でした。

そしてこれらを差し引いても、思いがけずゴールした翌日にもう一度レースができるという(STYの選手にとってはお邪魔だったと思いますが)ステージレース体験はワクワクするものでもありました。
Live TrailではUTMF(STY TRACK)というカテゴリーになってました。
"UTMF、STYに進む"みたいな意味なのかな。

そういう訳で本当はもうおしまいにしたかったのだけどまだ続くことになってしまったわたしのチャレンジ。
今回があったからこそ、本当に一周できる日が来たら喜びは倍増ですね。
祭りは終わり、日常が戻ってきました。もう夫も傍若無人なワガママにはつきあってくれません。
市民ランナーは日常の合間にせっせと走るのみ。大型トラックいっぱいの走るのをやめる理由と戦いながら。
今日を磨けば明日が輝く。
わたしの好きな言葉です。これからも磨き続けます。

またまたまとまらない長文ですみません。これにてレポは終了です。