こびとく日誌

クツをつくりながら考えたこと。晴耕雨読な日々のこと。

ハセツネ未完走レポ・その5

いよいよ終盤です。
鞘口峠から第二関門までの4キロは一度登り返しがあってそのあとは下り基調。(とはいえしつこく登りはあります)このころには前後に人がほとんどいなくなるので周りは暗闇、自分のライトが照らすところしか見えていないのでどういうところを通っているのかとかほとんど記憶になく、記憶にあっても断片的。ハンドライトは腰につけて腰ライトとしてハンズフリーで使えるようにしていたはずだが、それも使ってみると正面ではなく、微妙に右側の草むらを照らすようになってしまい、ときどき手で支えて正面を向かせないといけなかったのでうっとうしかった。もう、どうでもよくなっていてハンドライトは消してヘッドライトのぼんやりした明かりだけで進んでいたシーンも多くあったような気がする。
とにかくちょっとでも登りになるとガクンとスピードが落ちてしまうわたし。まさしく牛歩。
そうすると後ろの方から集団がやってくる。脇によけて道を譲る。
5人くらいの塊。ぴったりとくっつくように連なって通り過ぎて行く。通り過ぎる瞬間、目が合う。向こうも辛そうな様子だが明らかにわたしとは違う。生きている目。わたしはきっと死んでいる目。
もう、ほとんど誰も後ろにいないと思っていたのに何度もそんな風に小グループに抜かれた。何か獣、そう、カモシカの群れのようにあっという間に通り過ぎて行く人たち。あの群れについていけたらどんなに良かったか。ヘッドライトの明かりの列が遠のくを見ていると銀河鉄道999の映像を思い出す。空の闇にむかって上昇する光の連なり・・・。
この先もまだ登りかぁ・・・・。

それでも少し平坦だったり走れる下り部分は小走りした。とにかく早く関門に着きたかった。
補給したかったし、休憩したかったし、トイレも。
吐き気はおさまっていたがお腹の調子の悪いのがずっと続いていて、まあ、なんと言うか平たく言えば"その辺の草むらで・・"という心境で進んでいたのだった。でも、そんなことはできず・・・。

道ばたで休む人は進むごとに増えてくる。
ボーッとうつろな目をして立ち尽くしていたおじさんランナー。この人大丈夫かな?と横目で見ながら通り過ぎたあと、後方で「オエーッ」と声が聴こえた。そのあとも何度か盛大にオエーッ。通り過ぎたあとで良かった。
目の前だったら、きっとわたしもつられてしまっていただろう。後ろのランナーさんに被害がなければいいけど。っていうかあの方はこの先大丈夫なのか???
こんな風に"もう、終わっている"ような人たちを幾人も見てきたのでそれに比べればまだ自分は元気かなと思えた。
それにしても「非日常」過ぎるぜ、ハセツネ!
広めのところを通っているときはいいのだけど、両脇に笹の茂るシングルトラックをライトの明かりだけで進んでいると急激に心細くなる。遠くで何かが吠えているような声が聴こえる。何??
自然と早足になってしまう。怖い、怖いとちょっとしたパニック。
第二関門は近づいてきているのに、このころからもう無理、もういや、コワイ、と思うことが多くなってきた。あとからいろんな人のレポを読んでいたら、男性でも泣きながら進んでいた人もいるらしいので、わたしがこんな風になるのは当然と言えば、当然。だけどそれまでずっとそういう恐怖はあまり感じていなかったのでこの辺りから急激にそういうのが湧いてきたのが疲れも溜まって来ていた証拠なのだろうか。
恐怖心は波のようで全然大丈夫になったり、急激に襲って来たりしていた。そしてお腹の方も。でも関門でゆっくり休めばなんとかなる、そんな風に思っていた。まだレースを続ける気持ちでいたのだ。

そしてついに第二関門手前の舗装道路に出るところに出た。誘導スタッフが「あと1キロ強です」と言ってくれる。あともう少しだ。舗装路は走れるはずなのに全然走れない。空には満天の星だったのにそれに気付く余裕もなし。そしてまたトレイルに誘導される。そして再び舗装路へ。関門はどこだ〜?
もう一度トレイルへ入らなければいけなかった。(この辺りの記憶があやふや。本当にこんなに何度もトレイルと舗装路を出たり入ったりしていたのかな?)そのときガードレールに切れ目がなくて、「またいでください」と女性スタッフに言われた。
だけど、えっ!?  またげない。足があがらないのだ。前にいたランナーはすんなり通り過ぎていく。
わたしはここで止まってしまうのか?
否、ストックを2本、ガードレールの向こうにつき、なんとかよいしょとまたぐ。このときに「あと1キロ弱です」と言われた。
だけどこの1キロ弱がどうにも長かった。前方を行く人たちのライトの明かりは関門を前に元気を取り戻して進んでいるように見えるのにわたしときたら全然進めなくなっている。道路を出たり入ったり、進路もややこしくてあとちょっとの関門がどこなのか全く方向がわからなくなって混乱。最後のコンクリートの階段も登れなくて、ストックを頼りに這々の体で登る。その先に関門。関門のマットは踏んだものの、かなり「もう無理!」な状態に。
それでも水とポカリは補給してもらう。まだこの先どうするか迷っている。
これが午前3時少し前。
人影はまばら。休憩のためのブルーシートは泥だらけでゆっくり腰をおろせる気持ちにならなかった。ザックをおろし、放置したままトイレへ。ここにもやはりテントのペールトイレが6個ほども並んでいたが全部空き。やっぱりもうすでにほとんどの人が通り過ぎたあとなんだなぁと思う。今ここにいるのは完走できるかどうか微妙な人たちなんだなぁ・・・と。
結局、トイレのあともお腹はすっきりせず・・・。
汚れたブルーシートの上は寒く、何も食べる気がせず、元気は回復しない。
このあと、30キロ。10時間はかかるだろう。それに耐えられる気が全くしなかった。鎖場や岩場を越えられるかどうか怖かった。リタイアのポイントもよくわからない。自己責任ということで言えば、やはりここで止めるべき。そう思ってリタイアを決めた。思えばあの最後の1キロ弱でもう、ほとんど決まっていたのだ。あんなにダメダメな1キロ弱はありえない。
リタイアテントでチップをはずし、毛布にくるまり、暖かいお砂糖入りの紅茶をすすっているときもリタイアに対する後悔や残念な気持ちは全くなかった。それよりは「わたしには無理だったなぁ。ハセツネ、ハードだったなぁ」という気持ちで、ハセツネは出なくていいや、完走するのはわたしには無理だよと納得していた。ハセツネ30すらも出なくていいやと思った。
その後、ワゴン車で一旦、都民の森まで搬送され、そちらのテントで1時間ほどマイクロバスを待つ。テントはたちまちリタイア者でいっぱいになり横になっていた人も起きあがって寿司詰め状態でさながら野戦病院のよう。テントに入り切らず外でバスを待っていた人もいた。ようやくバスに乗れてスタート地点まで。その道のりは長く、そっか車でもこんなに時間がかかるところまで夜中じゅう、走っていたんだと思う。バスの中は皆疲れ切った表情で終始無言。そのうちしらじらと夜が明けて来た。
スタート地点に戻ったときはすでに明るくなっていて、ゴールゲートには人が集まっていて次々と完走した人がゴールしてきていた。だけど、そちらに足を向けることはできなかった。

やっぱり、うらやましい・・・。完走って。

こうやってわたしのハセツネ初挑戦は終わったのだった。
振り返るとあまりいいことがない。第一関門で元気でその先を進む気満々だったのはあの悪路を考えれば評価できるけどそのあとはいまいち。水はなんとか足りたし、第二関門までは行けたのは良かったとは思うけど・・・。
だけど自分でもびっくりなのはあんなにもう、いいやって納得したリタイアがあとから時間が経つにつれ、どんどん悔しくなってくること。なんであの先行けなかったんだろうとグルグル考え続けることになった。
あんなにもう、懲り懲りって思ったハセツネなのに、また来年!って思ったのだ。
苦しさものど元過ぎればなんとやらですね。

来年もまただめかもしれないけど、もう、次の挑戦がはじまっている! そんな気がします。
長過ぎるレポにおつきあいいただきありがとうございました!!

今回、ニューハレブースで足首テーピングしてもらいました
これが効果抜群!!二枚貼るとより安定するそう。
これからはレースのときはコレ!って思いました