こびとく日誌

クツをつくりながら考えたこと。晴耕雨読な日々のこと。

走ることについて語る

ここのところランニングの話題ばかりだがもう少し語らせてください。
思うにランニングにはまってしまう人の多くは今まで運動したことがなかったとか運動はニガテだったという人がほとんど。
わたしも小学校、中学校の「体育」で優秀だったことはない。(もちろん高校でも大学でも)
運動会でもビリにこそならないにしても一等!の華々しい思い出やリレーの選手でスターだったとかそういうことは一切ない。一応運動部には所属していてもレギュラー選手でもなかった。そういう陽の当たらない存在だったことは確か。でも、運動はキライじゃなかったんだと思う。なのにタイムや成績で測られるからダメだったんだ。
大人になってから趣味で始めるスポーツはどんなにどんくさくても誰にも咎められない。だから楽しいのだ。運動することが楽しいなんて、どの先生も教えてくれなかった。
25メートル泳げないまま、高校まで進学したわたしはいつもプールの授業はズル休みの見学で乗り切っていた。単位が取れないからと放課後、体育教師に呼び出され、とにかく100メートル泳げと言われた。制限時間は5分。「いいから、走れ!」と言われ、ひたすらプールの中を走った(ほとんど歩いている状態だったけど)。そんな風にして進級したのだった。あのときの先生が今のわたしを見たらびっくりするだろうなぁ。先生!今わたしは1000メートルくらい泳げるんだよ!(ゆ〜っくりだけどね)

ずっと運動神経のいい人に憧れてた。心底羨ましいと思っていた。←男女問わずモテるしね。
10キロをレースで走っているとき、しんどかった。でも運動神経いい人はこんな風にしんどくないんだろうなって思ってた。だって、Qちゃんはシドニーで走り終えたとき『とっても楽しい42キロでした』なんて言ってたもの。わたしはいつもしんどい。途中でいつもやめたくなる。
だけどあるとき、運動神経いい人にきいたら『俺もだよ』と言われた。『そんなのみんな同じだよ』とも。えっ?!そうなの?!と衝撃だった。知らなかったのだ。みんな同じだなんて。
苦しいのは自分がどんくさいからなのだと思っていた。40になるまでそんなことにも気付いていなかった。
それからわたしは変わったのだと思う。苦しいのはみんな同じ。トップの人もしんがりを走っている人も苦しいのはみんな同じ。それぞれ自分と戦っているのだ。

それからは他人と比べても意味がないと思うようになった。それはランニングだけではなく仕事にも日常生活にも言える。まあ、それでもときどき比べては落ち込む場合もありますが・・・。
自分の中で自分のオリジナルの人生を生きる。
そんな風なことをランニングが教えてくれたような気がする。エヘへ、ちょっと大げさですね。

だから走るのに自信がない〜なんていう人に逆におすすめします。新年からぜひ始めましょ。このブログを読んで少しでも「その気」になってくれる人がいたらいいなぁと思います。


スタートのドキドキも快感ですヨ