こびとく日誌

クツをつくりながら考えたこと。晴耕雨読な日々のこと。

2015UTMF・後編

W1麓エイド。バナナもオレンジも売り切れ。今年はプライベートサポートエリアと選手のみしか入れないエリアに分かれていた。サポーター(夫)とはすぐに合流できた。飲料、食料は選手本人しか受け取れないので(ほんとはサポーターにもらってきてもらえると楽なんだけど)ヘッドライトの電池交換をサポーターに頼み、水をもらいにいく。ボトルに水を補給し、レモンティーカップにもらう。ちなみにレモンティーは粉末でそれを自分でカップに入れ、ポットのお湯を注ぐ。お湯が間に合ってないようで予想通りぬるかった(泣)。
プライベートサポートエリアに戻り、サポーターにボトルにほうじ茶、アミノバリューの粉末を入れてもらっている間に持ってきたオレンジティーブレッドを食べる。わざわざ前日に買いに行ったオレンジティーブレッド。エイドのアンパンだと飽きると思って好みのパンを用意していたのだ。レース中なのにレモンティーとオレンジティーブレッド♥ホッとするひととき。
入り口のトイレは行列だった。あそこに並んでいる余裕はなさそう。
でも確か去年は奥の方にトイレがあったはず。「ねー?あそこトイレあるのかなぁ」「見てくるよ」とサポーター。
「3個あった。誰も並んでない」
ということで並ばずトイレも済ませた。この時間だけはどんなワガママな要求にも応えてくれそうなサポーター。結婚して20年を超えるがこんなのは初めて。居心地よくてつい長居をしてしまい25分も滞在してしまった。ゴミも全部サポーターに回収してもらいいよいよ前半の最大のヤマ場、天子山地に向けて出発。
ちょうどそのころ関門IN封鎖5分前でエイドはざわついていた。
登山口に向かう途中でカウントダウンの声が聞こえた。
あ、結構ギリギリだったんだ・・・
そして雪見岳の登りへ。ここから3キロ登り続ける。
取り付いた瞬間に心折れるような急登。ハンドライトはしまって手をつかって登る。
そうそう、これこれ、このエグさが天子だよ。
それでも連なってゆっくり登っているのでそれほどきついとは感じなかった。エイドでいっぱい休んでよかった。大丈夫、行ける!そんな風に自分に言い聞かせていた。死ぬほど長い登りのあとピークらしきところに出て一旦下る。そしてまた登り始める。えーっと、今のが雪見岳?ってことはもう熊森山目指してる?
と楽観的すぎる勘違い。そのあとまた鬼のように登って2時間経ったところで「雪見岳でーす!」との声。まだ1個目の山だった。時速1.5キロだなんて。そして長いドロドロつるつるの下り。
あまり思い出したくないし、実際あまり覚えていない。
木や笹につかまらないと立っていられないような斜面。横向きでスキーのように下ったり。あちこちで叫び声。
そんな下りが終わったかと思うとすぐに急登りが始まる。その繰り返し。
路肩ではゲェゲェやってる人や、うずくまるひと、倒れているひと。去年のSTYのときはあまり見かけなかったのに。
もちろんわたしもウプッときてたけどこれは想定の範囲内。真夜中に長い急な登りをやると吐き気がくるのはフツーのことなのら
今年は昨年と違って雪見1605M、熊森1575M、天狗1373M、長者1336Mと標高が低くなっていく縦走なので時間がかからないのでは?と思ったのは大間違いでぬかるみでツルツルの急下りはとても時間がかかった。しかも踏ん張るから足が疲労。爪もなんかおかしなことになってる。唯一よかったのは下りで緊張してるから全然眠くならない。
一体、次の関門に間に合うのかどうか?
やっとのことで最後の長者ヶ岳山頂。「エイドまであと15キロ〜」という信じられない声が聞こえた。耳を疑う。そんなにある??
てか、W1出てからまだ8キロしか進んでないの?
ともかく急ごうということで山頂休憩はせずすぐに下山。幸い長者ヶ岳の下りの地面はこれまでと違って固くしまっていた。田貫湖まで2キロという看板。その2キロも長い下りだった。ゆっくり下っていたひともいたがまわりの何人かは明らかにスピードアップして下っていたのでそこについてわたしも必死でくだる。膝も爪もどうにでもなれ〜
で、下り切ったところで誘導スタッフさんに「ハァハァ、エイドまであと何キロですか?」と半ば叫ぶように尋ねたら申し訳なさそうに「あと10キロちょっとです・・・」とのこと。「あと10キロォ!?
そのとき関門時間まであと40分。キロ4分で走らないと間に合わないのだ・・・無理じゃん。
大多数の人はそこであきらめて歩き始めていた。
わたしも一旦は歩く。
しかし、どのくらい間に合わなかったか知るためにもちゃんとエイドまで走ろうと思い直した。そしてひとり走り始める。
ずっとあとは下るだけかと思ったら登りもあって結局歩いたりもする。きれいな公衆トイレがあったので入る。鏡で顔をみると泥だらけ。泣けてくる。手の泥は洗ってもとれない。ほんとに泣けるわ。
少し走って、歩くたびに泣けてくる。悔しいのかそれともホッとしたのか自分でもわからない。
こんなに頑張ったのに届かなかったという思いが一番かな。
途中でザックの中で携帯が振動したのを感じた。きっと夫が「今どのへん?」ときいてきたのだろう。間に合わないと返信するのは嫌で無視することにした。だいたい今どのへんなのかもわからないし。
しかし、数分後、妙な予感がして携帯を開く。なんと大会本部からの関門時間延長を知らせるメールだった。あと1時間ある!奇跡!!
そこからまた走り始める。もしかしたらぎりぎり間に合うかもしれない。前を歩いていた人を追い越す度に「関門伸びたメールみましたか?」と声をかけたけど「メールがくるのが遅過ぎるよ」とか反応のない人ばかりで走り出すひとはいなかった。やっぱダメなのか?
かなり走ったあとでひとりだけ関門延長を知らなかったひとがいて一緒に走り始める。「あと何キロかわかります?」「わからない」
わからないまま走る。わたしが唯一わかっていたのは昨年までのエイドがあった西富士中からA3富士宮エイドまで3キロくらいはあるということ。これはレース前日に地図上で目測で測っていた。
西富士中の横を通過したときに残り時間22分。キロ7分なら間に合う。この頃は前方に走っている人も数人いて4〜5人で走っていたように思う。途中の誘導しているおじさんに「あと何キロですか?」ときいても返事はバラバラで「あと1キロ」と言われたり「あと5キロ」と言われたり。全部ロードなのかと思ったらトレイルを出たり入ったりで時間もかかる。キロ7分いけてるのかー?
関門時間間際に前方に大きな通りが見えてあそこに出ればエイドだ!と誰もが思った。間に合った!
その通りに飛び込んで左右を見渡す。エイドはどこ?!
・・・・
なかった
・・・・
そして関門時間午前5時50分をそこで迎えた。
一緒に走っていたひとたちもそこからは歩き始める。わたしはそれでも関門OUTの午前6時に間に合うかなとまた走り始めた。もしかしたら関門閉鎖はINじゃなくてOUT時間かもしれないから。(なんて往生際の悪い)
また途中の誘導スタッフに「あと何キロですか?」ときいてみると「あと2キロ」と言う。そんなはずはない・・・
そのすぐ先で応援してくれている人たちにもう一度「あと何キロですか?」ときいたら「あと2キロです」とのこと。
全く間に合っていなかった。結局、長者ヶ岳を下りたところから10キロではなく13キロくらいあったみたい。
そこからはもう歩き。ふと前をみると目の前に歩いていたのはスタートでも途中でも会って「がんばろうね」と約束していたMさん。
お互い駆け寄ってウェ〜〜〜ンずっと先に行っていると思っていたMさんが間に合わないのだからわたしが間に合うはずもない。
全然だめだった。ギリギリでもなかった。惜しくなかった。
UTMFは高い分厚い壁だった。
エイドの入り口ではたくさんの人が拍手で迎えてくれた。みんな優しい。
やりきった感はあったのでわたしはもう泣いていなかった。夫とあってもケロッとしていた。
だけど応援にきてくれていたMMさんの顔をみたときは・・・ウェ〜〜〜ン
闇女子会と称して雨の中オールナイトのおかしな練習を一緒にしていた仲間。
この半年間、いろんな人が一緒に練習につきあってくれた。
5月に蚊取り線香塾で逆ツネ、6月闇女子逆ツネ、7月闇女子箱根湯本to山中湖、8月箱根湯本to箱根町×2、地元のチガジョグの仲間とは帰宅ナイトラン、灼熱ロングラン、直前ロング走、すばしり〜下吉田試走、鎌倉トレイル協議会のメンバーとは水曜鎌jog、夫は何度も富士山に連れていってくれた。
だからみんなになんとしても完走の報告がしたかった。それができなかったことだけが心残り。
自分のレースには一切悔いはない。ベスト以上を出したけど届かなかった。ただそれだけです。終わってすごいなーって思ったこと。
A3では70キロ超えて走っててもういっぱいいっぱい、もう無理って感じてたけど体はちゃんと残り100キロを走る覚悟ができてたみたいで余力が残ってたこと。気持ちだけじゃなくて身体もちゃんと最後まで行くよって覚悟してたんだよね。
偉いぞ自分。と今回も自分を褒めておしまいです。

あ、あとA3で700人リタイアというのは違ってて、A3を通過できたのが727人。A3でリタイアになったのは385人ということです。