こびとく日誌

クツをつくりながら考えたこと。晴耕雨読な日々のこと。

20年

気付けばもう10月。

10月になるといつもこれまでを振り返る。そして指折り数える。
1989年の10月に初めてモゲワークショップの扉を叩いた。
靴つくりを始めて20年が過ぎたことになる。

89年はわたしにとっては"激動"と言ってもよい年で友人の死や自分の転職など予想外のことが次々と起きた年だった。でもこの年の一番のビッグニュースは自分でクツがつくれたことでその感動といったらなかった。そしてそのままの熱いテンションを失うことなく現在に至っている。これって結構すごいこと。周りの人からは「続けていてすごいですね」的なことはよく言われるけどわたしは続けているということよりむしろ、この情熱が冷めていないことに驚くと同時に我ながら感動している。
自分の一途さに一番自分が驚いている。
もちろん、当初のまんまの鼻息の荒さではなく、少しは冷静に大人にはなっているはず。
以前のように寝ても覚めてもクツ、クツクツ!ということでもない。

でもちゃんと情熱はキープしているつもり。
わたしなりに悩んだり、迷ったりもした。行き詰まることもあった。もしこれで注文がなくなってしまったら、辞めようと思ったときもある。だけど不思議とオーダーは微妙なところで途切れることなく、生かさぬように殺さぬように続いてきた。その度に「まだクツの神様はわたしのこと見捨ててはいない」と勝手に思い込んで続けてきたようなところがある。
これまでの20年はそんな運を天にまかせてきたような感じだった。流れに身を任せてと言った方が良いか・・・。
でもこれからはもうちょっと自分の力でやってゆきたいと思う。

靴つくりを始める人にはいくつかのパターンがあるのだが、わたしの場合は簡単に言うと美術系。とにかく小さい頃から何でもつくるのが好きだったというタイプ。つくっていられれば幸せなタイプ。
だから足がどうのこうのとか骨が云々とか木型がどうのとか本当はニガテ。アート系は自分の殻に閉じ籠りやすくもあるので接客もニガテ。
一枚の革を縫ったり引っ張ったり組み立てて立体になってゆくだけでわくわくドキドキ大満足。
でもそれだけではゆるされないのがオーダー靴の宿命。オーナーさんにフィットして満足してもらえなければ何の価値もない。そこがつらいところ。
やっぱり、つくる人も履く人も笑顔になるためにはもっともっと力が必要だと感じる。知識と経験もそう。

チカラもないし、知識や経験もそんなにない自分。だけどないことをもう恐れてはいけないのではないかと最近思う。

数年前、父が事故で脳挫傷、頭蓋骨陥没骨折で片手足が不自由になった。その後、地道なリハビリで杖歩行はできるようにはなった。その父のクツ(もちろんこびとく製)をあるとき見たら、カカトのところに数枚のシートが入れられていた。接着されているわけではなく、ただ入れてあるだけだった。父に尋ねると担当の理学療法士さんが入れてくださったとのことだった。固定されていないので履く度にずれるそのよくわからないシートを見たときに、もうちょっとなんとかしてあげられるのでは?と思ったのがディモコインソールの勉強を始めたきっかけだった。

決して謙遜ではなく、わたしは靴つくりにおいて本当はあまり自信がない。だけど20年が過ぎた今、もうそれじゃ許されないのだと思う。自信がないなんて言ってちゃダメ。
これまでの経験があれば、もうちょっと何かできるはず。

ともかく21年目が始動です。

*昨日はオーソティックスソサエティーの総会に出席。セミナーにも参加していろいろ思うところがあったのでつらつら長文になってしまいました。セミナーについてはまた後日。


お父さんと息子さんのクツ、出来上がりました。
間違い探しのように同じに見えて違うデザインのクツです。
どこが違うかわかるかな〜?