こびとく日誌

クツをつくりながら考えたこと。晴耕雨読な日々のこと。

歴史探訪

湯河原トレラン中、椿ラインを走ったあと、トレイル入り口にはこんな看板があった。
『土肥の大杉跡』と書いてある方に進んでみると、確かに跡というだけに杉の木はなく、石碑が建つのみ。ぐるりと石碑を一周して「なぁんだ・・・」と立ち去ろうとしたときに説明が書いてあるのをみつけた。

源頼朝が石橋山の合戦に敗れ、土肥実平を中心とする七騎で湯河原山中に逃げ込んだときにこの大杉の根元のうつろの中に隠れていた。そのとき梶原景時が頼朝の存在を知りながら知らぬ振りをして助けたので頼朝は難を逃れた。この杉は大正6年に暴風雨で倒れた。

とのことだった。
湯河原には頼朝ゆかりのものが他にも多い。同様に隠れていたという"しとどの窟"とか、水面に映った己のあわれな姿を見て自害しようとしたのを、湯河原の豪族である土肥実平に引き止められたという"自鑑水"などトレランコース上に点在している。(自害を決意したが水面に映った自分の哀れな姿を見て、思いとどまり再起したという説もあり)

実は今回湯河原に行くまでこのような頼朝ゆかりの地であったことなど全く知らなかった。石橋山の合戦とか名前はきいたことあるけどうろ覚え・・・。けれども鎌倉幕府設立のその前に、わたしたちが走ったこのコースを頼朝一行も逃げさまよい、洞窟に身を潜めていたのだ。自害を思いとどまり、そのあとに鎌倉幕府を立ち上げる・・・。なんかすごい・・・って思った。
トレイルは現在ではハイキングコースになっているところがほとんどだけど、昔は主要な道だったりもする。参拝のための道だったり、物資を運ぶための道だったりまたは、葬送の道だったり。
走りに行くときはきつい登りかなぁとか長い下りが楽しめそう!なんてことぐらいしか考えてなかったけど、その道がどういう道なのか、昔はどんな風だったかとか調べてみるとおもしろいかもしれない。

ということで、またもう一度、湯河原に行きたくなっているのでした。ひと粒で二度おいしいですね、トレランってやつは。

参考・鎌倉幕府開運街道→
石橋山の合戦後、頼朝の逃走ルートなどこちらのサイトがわかりやすく解説しています→




椿ラインにてテリハノイバラ(照葉野茨・葉っぱが光っている野性のバラ)
あえて、野バラと呼びたいです。

コアジサイ。ひっそりと咲いてました。

帰ってきてから夫に「えっ?!椿ライン走ったの?!」と驚かれました
ヘアピンカーブの続く椿ラインは、バイク乗りがコーナー攻めに行くようなところで
ランナーやハイカーが通るような道ではアリマセン・・・。