こびとく日誌

クツをつくりながら考えたこと。晴耕雨読な日々のこと。

冬のはなびら

先日の伊豆では1ページも開くことのなかった伊集院静著「冬のはなびら」を読み終える。装画・装幀長友啓典というだけあって凛と美しい本だ。
この本には六編の短編が納められている。最初の「雨あがり」という短編は鎌倉の経師屋に中卒で弟子入りした若者の話。職人にまつわるストーリーはやっぱりグッときてしまうわたし。
それぞれバラバラのストーリーなのに舞台は鎌倉、葉山、そして金沢と偶然にもわたしにとって馴染みのある土地ばかりが登場する。
 そしてびっくりしたのが「春泥」という作品。主人公の女性がばね指になってしまう。こんなところにも自分との共通点が・・・。実はこびとくも過去に2回ばね指の手術をしている。ばね指というのは腱鞘炎みたいなもので曲げた指がカクッともとに戻らなくなってしまうのだ。手を使う仕事の人に多く、植木職人さんなんかにも多いという。塗り薬でそのままおさまる場合もあるが重症なら切ることになる。こびとくの場合も最初は塗り薬を処方されたが効き目は全くなしで次は注射を打つ事に。その注射は指ではなく手のひらの指の付け根あたりに打つのだがそれの痛いことといったらもう・・・本当に辛い治療に何度も通ったのだった。しかし、結局症状は良くならず手術に踏み切ることになった。先生が「外来でできる簡単な手術」と言うので診察室の椅子に腰掛けたまま、ちょっと切って縫う程度のものだと甘く考えていたこびとく。手術の日、軽い気持ちで病院に行ってみると手術着に着替えさせられ、肩から消毒薬で洗われ、手術室に寝かされ、天井の灯りがつくと同時に先生がメガネをテープで鼻に止め、手袋した手を上にあげて(よくドラマの手術シーンでみるアレですよ)登場したときには本当にド肝を抜かれた。話がちがう〜と心の中で叫んでいたこびとくだった。術後は点滴を打たれ、しばらくベッドで寝かされた。そして手はドラえもんの手のように包帯でぐるぐる巻きに。鎮痛剤をもらって帰宅。その夜は患部がとても痛かったのを記憶している。そして抜糸までの2週間、きき腕を奪われたわたしは何もできないでいたのだった。そんな思いをしたのにも関わらず、しばらくして別の指がばね指になった。そのときは注射は続けずすぐに手術を覚悟した。繰り返すばね指について「炎症をおこしやすい体質ということもあるかもしれないがやはり職業柄でしょう」と医師から言われたときはこの仕事向いてないのかなと本気で落ち込んだものだった。
 また繰り返すかもしれないという医師の言葉とは裏腹にその後はばね指を患う事はなく現在に至っている。この本でそんな苦い思い出がよみがえってしまった。伊集院静さんのエッセイを読むと本人はギャンブラーで風来坊なイメージだけど小説は穏やかで静かなのがとっても不思議。

そして我が家の冬のはなびらはこの水仙。いい香り。