こびとく日誌

クツをつくりながら考えたこと。晴耕雨読な日々のこと。

なんもしなかった話

『レンタルなんもしない人のなんもしなかった話』を読む。

レンタルなんもしない人のなんもしなかった話

「レンタルなんもしない人」というサービスを始めます。

一人で入りにくい店、ゲームの人数あわせ、花見の場所とりなど、ただ一人分の人間の存在だけが必要なシーンでご利用ください。

国分寺駅からの交通費と飲食代(かかれば)もらいます。

ごく簡単なうけこたえ以外なんもできかねます。

 

2018年6月、こんな風にtwitter上で突然始まった「なんもしない」サービス。

スタートしてから半年間におこった出来事をほぼ時系列で紹介しているノンフィクション・エッセイ。

初日は利用者0人。

二日目、二人。

twitter上でいろんな質問が飛びかう。

Q買い物代行はできる?Aなんかしていることになるからお断り

Q何時から動ける?Aその日起きれた時間から。とくに希望があった場合は始発に乗る

Qカード占いの練習相手もお願いできる?Aこちらはなんもしなくていいのですごく良い

Q映画を見て感想をもらうのは?Aそのへんの小学生以上の感想を期待しないでもらえるなら可能

 

1週間くらいで結構な量の依頼が来たみたいだ。

わたしがレンタルさんを知ったのはサービスが始まった割と初期の頃だったように思うが気がつけばテレビにも登場するようになった。この本はテレビ出演までの半年間のできごとで、やはりサービス開始初期の頃の話がおもしろい。

そんなに需要があるとは思えなかったサービスだけどただ居てもらうだけとか話をきいてもらうだけという要望が多いことになるほどなぁと思う。

友達や家族、知り合いに頼むのは躊躇する。むしろ自分のことを知らない人の方がいい。

アドバイスなど必要なく、ただただ聞いてもらいたいだけ。

 

うん、あるかもな。

 

もちろん依頼の内容は多岐にわたり、そういう癒し系だけではないのだけど。

仕事(ビジネス)って成果や報酬がないとダメって思われがちだけどなんもしなくても成立するんだなぁと。

ずいぶん前に報酬をお金でもらわない仕事をする女性が主人公の小説を読んだのだけどそのときにお金にならないけど仕事であるということについて考えていて、そのことについてブログに書こうと思ったまま年月が過ぎてしまっている。(未だにまとまっていない)

お金を稼がないことに対してそれを仕事と呼べるかどうかなんだけど、わたしはそういう仕事もあると思っていてレンタルさんの存在はちょっとそれを裏付けるものでもあった。(しかし現在は交通費とは別に報酬として1万円だそうです)

4月からはドラマ化、エッセイ本の続編の発売もあり。

 

いいなと思ったのはあとがき。

本を書いてみませんかという依頼に本になったらいいなとぼんやり思っていたレンタルさんは「なんもしていないのに本になった」という感じの工程が可能ならぜひ、と答える。

依頼してきた編集者の江坂さんは「そこは外してはいけないところ」と返信します。

結局、江坂さんがレンタルさんのツイートの書き起こしをしたのがこの本でレンタルさんはなんもしてない。「なんかする人たち」がすごくなんかしてくれてできた本だっていうところが良かったな。

 

呼吸するのと同じようなテンションでできることなら、たぶん一生できる。ストレスも感じない。おすすめです。(レンタルさんの言葉)

 

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新型ウイルスの影響で図書館は閉館中。

予約本の受け取りだけはできるのだが入り口の扉は閉まっていてベルを鳴らして呼び出すシステムになっていた。

こんなのはもちろん初めての経験。

母の入居しているホームも2月末から面会禁止になった。

スイムに通っていたジムも休館。

トイレットペーパーはあと3ロールはある。

マスクは布マスクを作ってもらいました。

ハンカチや手拭いでも縫わずに折り畳むだけでできると知ってそれでいいやと。

休日はひとりでロング走を一日中しているだけなので特に問題なし。

サンダル業務は始まっています。