こびとく日誌

クツをつくりながら考えたこと。晴耕雨読な日々のこと。

父の詫び状


向田邦子 『父の詫び状 』を読む。
おそらく向田邦子氏のエッセイを読むのは初めて。
文庫版の解説は沢木耕太郎氏。
冒頭のエッセイのタイトルが『父の詫び状』で「つい先だっての夜更けに伊勢海老一匹の到来物があった」の一文で始まる。グイグイと引き込まれ、そして読者はあちこちに連れまわされ、最後の一行「それが父の詫び状だった」でうーん、うまい!名人!!と思う。
そんなエッセイ集だった。

向田さんのお父上は昭和な父、いや、戦前の昭和の父である。
家庭内ではいつも「お父さんだけ特別」である。
自分は玄関に履物を飛び散らかして脱ぐくせに子供には「揃えろ」と命じる。不条理なまでに家族に厳格であり、時には拳骨もふるう。(ゲンコツってこう書くんですね)
読みながらうちの父を思い出してしまった。
酔っ払って帰ってくると手土産のたこ焼きや"大名巻き"と言う太い海苔巻きを「食べろ」とわたしたちを叩き起こす。普段はお土産など買ってこないのにひどく酔ったときはそういうおみやげがあった。眠気が勝っている妹は嫌がって起きて来なかったが起きないと父の機嫌が悪くなるのでわたしは嫌々ながら食べてたっけ。
どうや、美味いやろうとご満悦の父・・・
こういうシーンがこのエッセイと重なる。
あるときわたしがふと「書けないけど読める漢字がある」と言ったところ「そんなおかしな話があるか」と絶対に譲らなかった父。例えば薔薇だとか檸檬だとかいくらでもあるのに決して認めてはくれなかったことを今でもはっきり覚えている。読めるなら書けるはずだと主張する父。
昔の父親ってどこもこんな感じでしたよね。
電話は隣家と親子電話で長電話すると隣が迷惑すると叱られたものだった。絶対に子供の思い通りになどならなかった。だからとにかく早く大人になって家を出たいと熱望したものだった。
以前にもブログに書いたけどサンタから「希望のものがなかったので百人一首にしました」と手紙をもらったわたし・・・。
そんないろいろなことを思い出すきっかけにもなった「父の詫び状」でした。

さて今日から8月。また雨の日になりました。
まだまだ先日の北アルプスの余韻に浸っているのですが、あちらでもずっとあいにくのお天気が続いているようです。けれども晴れるばかりが山でもないというブログを読んで、しみじみそうだなぁ〜と思いました→わたしたちがあれだけ高山植物に感激したのも雨のおかげで花たちが生き生きしていたからですね。
また行きたいなー。