こびとく日誌

クツをつくりながら考えたこと。晴耕雨読な日々のこと。

HK100 レース編

Vibram Hong Kong 100 走ってきました!
前半は比較的平坦なところを走ります
山を登ったかと思うと海岸まで下りるということを何度もくり返す

強風の中、白い砂浜でビーチラン
52キロ地点CP5でドロップバッグを受け取り後半戦へ

前半と後半ではガラリと印象が変わります
CP5からはライトオン 防寒もしっかり!!

いろんなところから見える夜景がすごかった★
野猿の群れている脇を通るエリアもあり
一番印象的だったのはCP8(83キロ地点)のあとのNeedle Hill
目の前に大きくそびえるまさしく『針山』を垂直に登るライトの光に圧倒された


大寒波の到来が予報されていたレース当日。
しかし昼間は気になるような雨も降らず、寒さもさほどではありませんでした。
しかし、『針山』のあとくらいから雨足が強くなってきた。雨がひどくなる前に上下レインウェアを着込む。
そして最後のエイドCP9(90キロ地点)に到着。残り10キロ。完走がみえてきた。
小学生くらいのボランティアくんが駆け寄ってきて飲み物は何がいい?ときいてくれ、希望のものを走って持ってきてくれたのには感動。水とホットチョコレートを頂く。
このときわたしは長袖ベースレイヤーに半袖Tシャツ、防寒長袖、シェルジャケット、ゴアテックスレインウエア上下、レッグウォーマー、首バフ、さらに腹巻きという厚着だった。手袋は二枚重ね、ザックの中には防寒用ベストとホカロンも入っていた。
このやりすぎかと思ったほどの防寒がのちのち身を助けることになった。
CP9を出発したのが午前4時半頃。ゴールまでは3時間ほどかなぁ、24時間以内のゴールができそうか?と算段していた。
が、しかしすぐにその算段は無理ということを思い知らされることになった。
天候の悪化。激しい風雨。いや、雨ではなくみぞれ。みぞれなんだけど身体についた途端に凍り付く氷の粒だった。
気付くとレインウェアが凍って歩く度にバリバリ言っている。ストックのストラップもカチカチに凍っている。髪の毛も凍っていた。幸い寒さは感じていなかったのでとにかく先へ進む。風のないところに早く出たかった。
自分は厚着だったけど、まわりのランナーは薄着でゴミ袋や100均カッパのようなものしか着ていない人も多く、見ているこちらがゾッとするほど。この嵐をあんな装備で進むなんて信じられない。
レースのレギュレーションチェックは携帯電話とエマージェンシーシートだけだったが防寒具やレインウエアのチェックが必要だったのではないかと思う。
結果、多くの人がレスキューされる事態となってしまった。

コースをロストしたらおしまいだという恐怖から必死で前のライトの光を見失わないよう進む。もうこの時点でレース中という感覚はなくなっていた。とにかく生きて帰ろうという気持ち。
最後の大帽山への登りは舗装路だった。しかし、それが全面凍結していた。登りなのに滑って登れない。四つん這いになって登るシーンも。風雨はさらに強くなっていておさまる気配もない。これから天候がさらに悪くなることがわかっているのにさらに標高の高いところに登っていかなくてはいけないという恐怖。しかも霧も出ていて視界不良だった。
あまりに怖かったので近くにいたランナーさんに声をかける。一緒についていってもいいですか?と。
タイから参加されたというおじさまランナーさんは「ノープロブレム」と言ってくれ、路肩を歩くと滑らないとか、つま先で地面を蹴りながら氷を削るように歩けとかアドバイスをくれた。ちなみにわたしは英会話はほぼダメです。
でもなんとなくこういうときは通じるものですね。滑っている人に手を貸したり、自分が転んだときは手を貸してもらったり、とにかくあちこちで悲鳴があがりみんな転んでいた。
そうこうするうちに大帽山の山頂近くへ。
そこで転んでいたのが知り合いのラン友さん!言葉が通じるってだけでホッとする。すぐに声をかけもうひとりの女性とともに合流する。
そこからは日本人三人で声をかけあいながら進むことに。
一旦止まり、ザックからホカロンを取り出そうと思ったらファスナーが凍って開かない。それどころか金具も凍っているのでザックをおろせない。仕方がないのでそのまま進む。とにかく動いていないと遭難すると思った。
しかし、進むと言っても道路は凍結していて一歩ごとに転倒する。派手に転んで頭を打ったり、ひざやひじを打ったり。
路肩の土の上を選んでとにかく少しでも標高の低い方へと進む。もはやレースではない。
ようやく明るくなってきて遠くに救急車らしきものも見えた。多分、凍結であがって来られないのだろう。途中でレスキュー隊のひととすれ違った。
道路はそのまま下に続いていたのでなんとか進む。するとコースのマーキングがあった。ここからゴールに行ける?
てっきりレースは中止になっていたと思っていたのに続行されていたようだった。(午前6時半くらいに中止が発表されていたようですが)
トレイルを下っていくと忽然と現れたゴールゲート。三人で手を取り合ってゴール。
もちろん目標の24時間はとっくにオーバー。
しかしそんなことはどうでもいい。とにかく無事帰って来られた。
でも山の中にはあの薄着の人たちが取り残されている。自分はゴールできたけど、いつものような手放しで喜ぶ気分にはなれなかった。
防寒具のおかげで寒くはなかったし、蚊取り線香塾で教わった歩き方のおかげで最後まで身体も動いていたし、自分自身は危機的状況ではなかった。だけどとても怖くてビビっていたし、他のランナーに助けてもらったのにわたしは誰の助けにもなっていなかった。頼りなさ過ぎ。弱過ぎ。

いろいろ思い出に残るレースとなりました。
今回のレースの顛末についてdogsorcaravan.comのコラムにもまとめられているのでご一読ください→
翌日の新聞。100人以上がレスキューされ60人以上が病院搬送、うち重体3名と翌々日には伝えられた(霜柱を見物にきていた一般ハイカーも含む)