こびとく日誌

クツをつくりながら考えたこと。晴耕雨読な日々のこと。

謹賀新年・奥能登へ

新年明けましておめでとうございます!
昨年同様、今年もこびとく日誌を変わらずよろしくお願い致します。
忙しい毎日の中、今年も小さくともキラリと光る楽しいことを拾って綴っていきたいと思います。

さて、年末年始は実家に帰省しておりました。
今年はフンパツして母を連れてお正月は一泊二日で奥能登の温泉へ。
というのも朝ドラ「まれ」で一躍有名になった『間垣の里』へ行きたいという母の希望を叶えてあげたくて。
50年以上も前になりますが、母の初めての赴任先がこの間垣の里、大沢地区だったというのです。「まれ」でテレビに映ったのを観て、懐かしいと連発していた母。
詳しくきいてみると一年間下宿していたのだとか。漁港がすぐそばで、間垣の間をくぐって行くとこういう道があってとやけにはっきりと思い出せるようで「なら行けばその下宿先の家がわかる?」と尋ねると「うん」と言うので行ってみることに。
こんな風な間垣の切れ目から入って行くのだと言うのですが・・・
そこは民家の玄関で「違う」と母。

いつもはゆーっくりとしか歩けない母なのに、ここに着いた途端に早足でわたしたちの先に立って歩き始めます。「こして間から入ると道があって・・・」とブツブツ言いながら。

こんなイスはなかったわ(母)
そしてある通りにずんずん入って行く母。しかし、その先は行き止まりのようで・・・うーん
駐在所できいてみようかと思ったけどあいにくパトロール中で不在。

諦めて引き返す途中、神社から地元のおじちゃんたちが出てきました。
「○○彦左衛門さん(50年以上前のご当主)のお宅を探しているのですが?」とダメもとで尋ねてみるとなんと!
皆さんご存知でおまけにおひとりの方が「うちの隣りや!」とミラクルな展開に。
案内していただくと先ほど引き返した通りの奥にそのお宅はありました!!
てか、母の記憶力は結構すごかった。最初からあの通りに入って行ったもんね。

そのお宅は当時のままにそこにありました。
母が下宿していたとき、新築の家だったそう。こちらの二階にお世話になっていたそうです。部屋もそのままだとか。
そしてここの娘さん(現在80歳)と息子さんと母は再会。
当時全員20代!
やや母の記憶違いで話の噛み合わない部分はありましたが、当時の話に花が咲き★
その頃はこの地域までのバス便もなく、輪島からの最寄りのバス停から1時間ほど歩いたという最果ての地で22歳の母はどんな毎日を過ごしていたのでしょう。
こんなに海の近くで暮らしていたとは全く知りませんでした。
数分前のことですらすぐに忘れてしまうのに50年以上前のことははっきり覚えている不思議。

こちらで収穫した小豆とささげとキウイをたくさんおみやげに頂きました。
大事にゆっくりコトコトと煮てみようと思います。