こびとく日誌

クツをつくりながら考えたこと。晴耕雨読な日々のこと。

コクリコ坂から

ようやく『コクリコ坂から』を観て来ました。
この映画の時代は1963年。『三丁目の夕日』と同じ頃。東京オリンピックをひかえ、戦後の復興が進み、新しいものにどんどん飛びついて活気のあった時代。その頃の横浜が舞台。ストーリーのことは置いておいても、ジブリ映画は背景になる町並みやその時代の人たちの暮らしぶりなどを観るだけでもときめきます。
ハンドルを回して洗濯物をペシャンコにして脱水する洗濯機、うちにもありましたー。多分、わたしの世代がこういうのなつかし〜っていうののギリギリの世代ですね。かまどでご飯は炊いてなかったし。

主人公、海は高2ながらも下宿屋を切り盛り。学校に行く前に下宿人のための朝食をつくります。そんなコ、今の時代にはなかなかいませんね。下宿屋さん自体が懐かしい。以前書いたことありますがうちの祖母が下宿屋さんをやっていました。わたしが幼い頃は常に高校生のお兄さんが3人ほどいました。今思えば、朝食つくって、お弁当持たせて、夕食も出しててすごいなーって。お風呂は近所の銭湯でした。わたしも冬はあんかをお兄さんたちの部屋に運んだり、お弁当包んだり、お手伝いしたこと覚えています。

映画のストーリーは校内の古い建物「カルチェラタン」の取り壊しが決定し、それに反対する生徒たちの紛争を中心に進んでいきますが、このカルチェラタンは男子の文化部の巣窟でま〜、キタナイ。掃除なんて何年もしてない。
そういえば、いまどきの男の子たちってみんなコザッパリしているけど、昔ってこういう感じだったよね、と思わずうなづいてしまう。
取り壊し賛成が80%だったのをひっくり返していくさまが爽快。最後は理事長に直訴。

この映画を観るまでは、脱原発って90%以上の人が思っていても、デモやっても、署名がいくら集まっても何も変わらないじゃん・・・ってどこかで思っていました。でも、この映画を観終わって、そんなことはない。変えようとすればきっと変わるはずと思えた気がします。
ということで次回は映画『祝島』について書いてみようと思います。

先にこの映画を観ていた友人に教えてもらったのだけど「コクリコ」はポピー(ひなげし)のこと。これ、重要です。
下宿屋「コクリコ荘」のお庭にはポピーがいっぱい。亡くなったおとうさんの写真にも、ポピーの花が供えられています。そして海のことを友人たちが"メル"って呼ぶのはフランス語で海=ラ・メールだから。
こういうところがちょっと横浜らしくて良かったです。