こびとく日誌

クツをつくりながら考えたこと。晴耕雨読な日々のこと。

こころなえるとき

先日読んだ五木寛之さんの『新・風に吹かれて』について。
なぜこの本を手に取ったかというと、それは坂道が理由。五木さんは奥様が金沢出身ということもあって金沢に住んでいたことがあり、金沢を舞台にした小説やエッセイが数多くある。最近、金沢のとある名無しの坂の名付けの親となった。その坂とは主計町(かずえまち)の「あかり坂」。主計町にはもうひとつ「くらがり坂」という有名な坂があってその坂と平行するあまり目立たない坂に名前をつけて欲しいと依頼されたことがこの「新・風に吹かれて」に書いてあるということをきいて興味を持ったのだった。
先日の帰省では残念ながら主計町を訪ねることができず、坂を上り下りすることができなかったけどそのうち訪れてみたいと思います。そのときにまたこの坂のことについては詳しく書くつもり。

そしてこのエッセイには靴についての記述もある。
五木さんはゆる目のクツ派。『靴は人生の伴侶である。そして足はそれぞれの人生の履歴書である。』『靴は自分の信念をもって選べばいい』と述べている。イタリア、ローマの靴屋さんのマダムに『靴は人生の友だからね。どんな友人を選ぶかはその人の自由よ』と言われたエピソードも書かれていた。
なんとなくこの言葉を肝に命じようと思った。そして五木さんの言う、高温多湿のこの風土の中で、しかも脱いだり履いたりをくり返す生活の中で間然するところのない靴を創リ出すことについても考えてみることにしよう。

さらにもうひとつ。
ロシア語の「トスカ」、韓国語の「恨(ハン)」、ブラジルで言うところの「サウダージ」などの言葉について。
日本ではこの手の憂愁の意味の言葉はマイナスのイメージがあるが海外ではこの「こころなえるとき」を大切なものだと受け止めている。
うつ状態とはこころが屈することで生きる重荷をすべり落とそうとしている大切な時間なのではと述べている。それを金沢の雪つりに例えて・・・。

バブルの頃までは日本はそう状態でその後はずっとうつ状態なんだそう。
だけど五木流に言えばうつ状態は大切な時間。
ちょっとハッとしました。不景気だのなんのと騒いでいるけどバブルで浮かれているよりはずっといいのでは。

随所に思うところのあるエッセイでした。
今日のブログ記事、いつもに増してとりとめなくてごめんなさい。


昨日の夕暮れ、たくさんの人がただ見とれていた。
休日に買い物しなくてもテーマパークに行かなくてもいい楽しみ方、
お弁当つくったり、あれこれ手づくりしたり、
お金を使わなくても遊べる方法知ってる人が増えたんだと思う。
ただ歩くだけでも、ただ走ってるだけでも充分楽しい
きっとそういうこと。今の時間を大切に。