こびとく日誌

クツをつくりながら考えたこと。晴耕雨読な日々のこと。

スポーツ小説

相変わらず「走る」小説を読んでいる。
『チーム』箱根駅伝を走る学連選抜チームの物語。チーム、大学のために走るのではなく、自分のために走る。そんな寄せ集めのチームが優勝を狙う。おもしろい視点だと思った。
三浦しをんさんの『風が強く吹いている』とつい比べてしまうのだけど、やっぱり書き手が男性だとちょっと硬派になるのかな。全体的にカタいという印象。装幀がもっと違ってタイトルも別のものの方が本としては売れるのかな、なんて余計なことを思った。

そして昨晩、読了したのが近藤史恵さんの『サクリファイス』。こちらは走ると言っても自転車ロードレースの話。わたしはほとんど自転車の世界のことは知らなかったのでへぇ〜と思うことばかりだった。
チームで走り、エースとアシストがいるなんてことほとんど知らなかった。先頭を走って後続の風よけになり、先頭は順次交代するというのはオリンピックのトライアスロンのバイクで初めて知ったのだったが同じチーム以外でも協力しあったり、またそこに駆け引きがあるなんていう話はいまひとつピンとこない。
だから余計に小説の中のレースの駆け引きには引き込まれてしまった。

そういえば自分はこういう駆け引きが苦手だなと思う。中学と高校の途中までバドミントン部にいたがダブルスのペアとのコンビネーションやゲーム中の駆け引きというものがどうしても上手くつかめなかった。もちろん運動神経に恵まれていなかったということもあるけどそれ以上に強く上手くなれなかったのは"駆け引き"が出来なかったからではないだろうかと今さらながらに思う。だからランニング、それも10K(テンケー、10キロレースのこと)にはまったのかな。もちろん個人競技のマラソンにも"駆け引き"はある。だけど10Kなら難しいこと抜きでただ野生のまま走ればイイ。しかも市民ランナーレベルですもん。42.195キロならペース配分やレース前の食事などにもあれこれ気を使わなくてはいけないけど10Kはほんとに難しいこと抜き!ただ走り抜ければいいのだ。

なにごともシンプルを好むわたしにとても向いている。
炎のおひつじ座ですからね。ゴタゴタは面倒くさいのです。

『チーム』はスポーツ小説というジャンルに属するらしいが『サクリファイス』の方はミステリーである。といってもタルト・タタンの夢 シリーズのときと同様、ミステリーぽくないミステリー。ものすごい謎解きが待っているわけではない。でも最後に真実が用意されています。サクリファイスって「犠牲」という意味らしい。こちらもタイトルと装幀替えた方が良いのでは・・・と思いました。