こびとく日誌

クツをつくりながら考えたこと。晴耕雨読な日々のこと。

歩いてもいいのだ

村上春樹さんの著書の中にも「少なくとも最後まで歩かなかった」という言葉があるように、ロードランナーにとっては歩かないってことは目標のひとつでもある気がする。
わたしもこれまで「完走=歩かないこと」と思って走ってきた。だから今度のトレランでもゆっくりでもずっとゴールまで走っていられたらいいなと思っていた。だけど最初のチェックポイントあたりで、もうその思いは打ち砕かれる。長い登りの階段、前にいる人も後ろからくる人もほぼ全員歩いていた。もちろんわたしも。その後も木の根っこが露出した足場の悪い場所や、急な登り、階段などいくつも歩いてしまう場所があった。あ〜あと残念な気持ちになってしまったとき、ある言葉が頭に浮かんだ。
それは、ランニングサイトでチラッと見ていたトレランのページに書いてあった言葉。

トレイルランニングは走れるところだけ走ればいいんです」
確かそんなようなことが書いてあった。それをふと思い出し、それからは歩いてしまうことに罪悪感を感じることがなくなった。走れるところだけ走った。走れないところはひたすら歩いた。手を膝に置いて手で足を持ち上げるようにして登った。手を地面について登ることもあった。(いわゆる四つん這いですね)
ずっと同じ苦しさでゴールまで走るロードマラソンと違って、そうやって登りでスピードを緩めることで平坦や下りのところは走ってる〜!とスピード感がいっぱい。まさにアップ&ダウン!

だからゴールした後の疲れ方もいつもとは少し違っていて、体や足は疲れているけど何か興奮状態な感じだった。なんというかやっぱりケモノ的な野生が目覚めたような感じ。

で、帰ってきてからトレランの雑誌→を読んでいたら、まさしくこれと同じようなことが書いてあった。トレランではトップランナーでも歩くのは当たり前(そうだったんだー)、よりタイムを短縮しようと思ったら上り坂を走り切ることを第一義にするよりも上り坂を速く歩くように努めた方がいい。『上りは歩いて当たり前と考えると気持ちも行動も楽になる』と書いてあった。まさしくわたしもそうだった。
うーん、トレランおもしろい・・・。

そして自分が大きな間違いをしていたことにも気付いた。この本の中にアドバイスとして書かれていたのだが腕が重くて振るのがつらくなったときには、ザックの背負いベルトの余っている部分を握って手を振ると楽になるとのこと。わたし、この余分の部分が走るのに邪魔だってことで切っちゃってました・・・(過去記事参照)