こびとく日誌

クツをつくりながら考えたこと。晴耕雨読な日々のこと。

京子さんのお針箱

先日、お客さまに素敵な本をいただいた。『京子さんのお針箱』というタイトルのその本はお客さまのお母様の手づくり品の作品集である。写真もすべてご家族で撮影されたのだという。昭和30年代のものからごく最近のものまで、たくさんの手づくりの品々が並んでいる。
一緒にいただいた巾着もおそらく京子さん作のもの。(すごく仕立てがきれいです)
これらは『作品』というよりは、娘や息子や身近な人のために作られた生活の品々。
スモッキングされたワンピースや刺繍のほどこされたスリッパ、縦笛やギターのケース、手編みのセーターや靴下などありとあらゆる手芸の限りを尽くしたような温かいものたちである。
これらは当然、売るためのものではなくて使うためのもの。
そして使われたものの写真集なのである。

古いものがこんなに残っているというのもすごいし、「子供のころはすごく嫌だったんだけどねー」とおっしゃるお客さまの言葉も感慨深い。とにかくいい本でした。
どれもすてきだったけどとりわけいいなーと思ったのは古くなって着られなくなったワンピースを子供用のパジャマに仕立て直したもの。いくつものパジャマはサイズも柄もいろいろだったのでお泊まりする子供たちが好きなのを選んで着ていたんだとか。

やっぱりものづくりってお母さんのこういうのが基本かなぁなんて思った。
プロフェッショナルじゃなくても誰かを笑顔に近づけられるのならそれでいいのです。


そういう意味ではわたしのベーシックはこれらかな?
上が母のパッチワーク。下が祖母のパッチワーク。

特別器用なふたりではないけれど、でも洋服とか作ってもらってた記憶がある。自分のものが出来てゆくワクワクは今でも覚えている。おもちゃとかはクリスマスぐらいしか買ってもらえなかったけど手芸材料はよく買ってもらった。(毛糸とかフエルトとか)

まあ、そういう時代だったと言えばそうなんだけど。

この本に添えられた文章に『最近は、手が動かないから・・・上手にできないから・・・となかなか作ってくれませんが、この本をきっかけにまた楽しみながら作ってくれたらと思っております。』とあった。
わたしも母や祖母に同じこと言いたいな。
そして自分はいつまでも手が動く限り何かを作っていられたらとそう思います。