こびとく日誌

クツをつくりながら考えたこと。晴耕雨読な日々のこと。

「指先に目」の続きのはなし

月型(カカトの芯)は中底を包丁で手頃な厚みに漉いて作っているのだがこの厚みも指先で測る。その人の体格に合わせて厚みも調節する。
修行時代、的確な厚みがわからなくて親方に「何ミリくらいですか?」なんて訊ねてみたところで答えは返ってこなかった。測るのではなく、カラダで覚えろというスタンスである。親方がトイレに立ったすきにサッと親方の漉いた月型に触り、その厚みを確かめたことが何度もあった。自分が漉いたものを「これでどうですか?」と確認してもらうこともしばしば。そういうことの繰り返しで身に付けていったのだ。あるとき、こっそり師匠の月型と自分の月型を両手に持ち厚みを比べているところをみつかってしまった。そのとき言われたことば。『左右別々の手で持って比べてもわからねぇよ』
つまり右手ならそれぞれを右手で触らなければわからないというのである。これには納得。
でもこんなアドバイスをされるってことは・・・。
そうなのだ。この親方も小憎時代にこっそり職人さんの月型を触ってその厚みを覚えたのである。

こんな遠回りの技術の伝承はきっと今ではナンセンスかもしれない。はっきり数字で教わる方が遥かに効率的である。でもやっぱり否定したくないなと思うこびとくです。