こびとく日誌

クツをつくりながら考えたこと。晴耕雨読な日々のこと。

台所のおと

知り合いのブログで紹介されていたので読んでみようと手にとった幸田文さんの「台所のおと」。短編集である。表題作の「台所のおと」は料理人の夫が病に臥せっているときに、障子一枚向こうの台所で働く妻のたてる台所のもの音をきいているというたったそれだけの話なのだけど、文章も美しく、描写も細やかでその物音から察するいくつものことがたまらなく、あぁ、日本人でよかった〜とそんな風に思ったりする小説だった。妻あきについては、例えばこんな風だ。
あきはほんとに静かな音しかたてなかった。その音も決してきつい音はたてない。瀬戸ものをタイルに置いて、おとなしい音をさせた。なにやら紙をかさかさいわせることもあるし、あちこち歩きまわりもするが、それがみな角を消した面取りみたいな柔らかい音だ。こんなにしなやかな指先を持っているとは思わなかった。
どうです?いいでしょう。短編なので普段本を読まない人にもぜひおすすめしたいです。「濃紺」という題の下駄についての短編も好き。履き物について描かれているところは何事においても惹かれてしまうのだけど、幸田さんのは特に好き。以下抜粋。
あるく当りがあまり柔らかい下駄ではなかった。土の上を歩くと、土も下駄も両方とも固いという触感があり、固いもの同士がぶつかりあって、なにか足が難儀だという気がした。はきにくいとはいわないが、軽快でらくというのではなかった。
ー中略ー下駄というのははいた時の気持ちのよさと、脱いだ時の見付きのよさと、二つながら備わることが肝心だ。

これは靴についても言えることだとしみじみ思う。
こんな本を人に紹介されるのではなく、自分で探し出すことができてこそ読書家と言えるんだろうなぁ。こびとくは読書家にあらず。いつもひとに教わるばかりなり。
台所のおとにはまるきり自信ないけど
仕事場のおとはどうでしょうか?
本日はすくい縫いのおと。
がさつな音じゃなきゃいいけどな。